まやかしの森 5  2008.0912


相変わらず響く、無邪気な鳥たちの声が、ひどく、
この空気から浮いているようで、

私の恐怖心をかえって煽った。


「やすぁ・・」

上ずりながらも、何とか出た声は、強い力で遮られた。

悪くなる視界、自分の口に押し付けられたのが、
泰明殿の唇だと知るのには時間はかからなかった、
1歩遅れて、その行為の意味を理解する。

「・・っっなっ!」

背を丸めて、懇親の力で視界を塞ぐ顔を押しやる。
唇は開放されたものの、今だ体は泰明殿の腕の中だった。
身を逸らすようにして、私は束縛から逃れるべく、動きを大きくする。

「何を! なさるので・・ぅわ!」

周りの景色が半転して、すぐに背中に走った衝撃と痛みに一瞬目を瞑る、
目を開いたときには、仰向けに寝そべって泰明殿を見上げていた。

頬にさらりと、泰明殿の髪がすべるように触れる。

すぐに再び重ねられる唇、声を出そうとした事が裏目にでて、
開いた唇の隙間から柔らかいものが割り込んでくる。
その感触に、激しい勢いに目の前の胸を反射的に叩く。
かすかに力が弱まった隙に、顔を背けてそれから逃れた。

「一体・・っ! どう、なさって・・!?」

あまりの出来事に、恐怖を感じる事さえ忘れた。

目の前の、自分よりも丈のある体をどかそうとするも、
力の差は、同じ男といえども、大きすぎる。
それでも必死にばたつかせた手は捕らえられ、
顔横にねじふせられた。

両の手を床に押さえつけられた痛さに顔をしかめて、
なすすべもなく動きを止める。


「・・永泉、苦しいのか?」


突然、自分に呼びかける泰明殿の声に、目を見張る。

全く得体が知れぬような気がしていた、今自分を束縛している者が、
知った仲間である泰明殿に戻ったような気がして、
胸に広がった安堵感に、体の力が、一度に抜ける。

「手、が・・泰明殿」

上がった息の隙間から出した声が、情けなく震えて、
喉の奥から涙がこみ上げた。

「手が、痛くて・・」

気が緩んだ隙をつくように、涙が止まらなくなる。
突然泣き出した事に自分自身ひどく戸惑って、手の痛みのせいだと、
そう言い聞かせる。

目の前を塞ぐ影が、ふと遠のいた。開放された両手、それでも、
押さえられた感触がすぐには消えず、動きが鈍る。
自分も身を起こしたら、眩暈を感じて重心が定まらない。
 
私を支えるように、泰明殿が手首をそっとつかんだ。
反射的につい、一瞬怖さを感じて身を堅くしたけれど、
泰明殿の包み込むような優しい力に、恐怖心は程なく消える。

「す、すみませ・・涙が勝手に・・」
幾らなんでも、こちらがお詫びをするのはおかしいかもしれない、
でも思わずそう言ってしまったのは、

あまりに辛そうなお顔で泰明殿が、私の手首を持ち上げ、
頬に当てて、こちらを見ていたから。

「大丈夫、です・・驚いただけで」

泣き止もうと、そう思えば思うほど、涙は止まらなかった。
空いた手で目を覆ったら、違和感を残す手首がぬれる。
泰明殿の頬に押し付けられた手の感触が、心地良く暖かかった。

ひやりと、つかまれた手に水が落ちた気がして目をやる。
泰明殿は、目を、頬を濡らして、静かに顔を歪めていた。

「何故、お前は」

ただ、その様子から目を離せずに見守った。泰明殿の声は、
先程の私の声と同じように震えていて。

「そのように、私の事ばかり気にかける?」


黙って、目を見開いて泰明殿を見つめる事しか出来なかった。


私の手に、口付けでもするように、泰明殿が俯くと、
ぽたぽたと、雫が降ってこぼれる。

つかまれた手をずらして、泰明殿の頬を濡らす涙に触った。

「私の事は、もう良い」

震えて、途切れがちなその声に、ただ、ゆっくりと頷いた。
何時の間にか、自分の涙は止まっていた。

「我が身を大事とするなら、私を責めろ」

泰明殿が私の手を離す。涙で濡れた肌が空気に触れて温度を奪う、ひやりと冷たい。
もうひと雫、すくうように、泰明殿の眼からこぼれた涙に触れて、
私は首を横に振った。

「何故だ」
「・・もう、これ以上」

落ち着きを取り戻した自分の声色に、さらに心が静まった気がした。

「ご自分をお責めにならないで下さい」

目を大きくひらいた泰明殿を、まっすぐ見つめて。

心の調和を取れず、誰よりも傷ついているように思える、
この人の苦しみをやわらかく包みめたら、


そう願いをこめてできる限り暖かに、微笑んだ。
 
戻る帰る