まやかしの森 3  2008.0815



「小鳥が居ますね」

小鳥が木々の中で戯れているのだろう。
鈴のような鳴き声と共に、草木がばさばさと揺れる音がする。

「桂の小鳥でしょうか」
「違う、これは北山の幻影だ」

そっと、泰明殿は、縁側の淵にかかった葉に、手を伸ばす。

「触れる事は出来ぬが、心が少しは鎮まる」

葉と重なり合った指が、色を緑色に染めた。
その不思議な光景よりも、私は、泰明殿の様子に意外さを感じた。

相変わらずの陽抑のない話し方、けれどもその言葉には、
以前の彼には明らかに無かったものが含まれているようで、

不安感と、妙な安心感を感じた。
それを悟られてはいけない気がして、何でもない返事を探す。

「触れなければ、本物のようです」
「お前は、私に・・」

ぼんやり庭を見ていた泰明殿が、変わらずぼんやりと、
私を見る。

「聞きたい事があるのではないのか」

鋭いわけではないその目線に、動けなくなる。

「あ、あの、印象が変わられていましたので、すこし驚いて・・」

正座をした膝の上で、手を握り締めた。

「顔のまじないのことか」
「はい、それもですが・・」

聞きたいと思う事は、どれも聞いてはいけない事のように思える。

「呪いは、私に足らぬものを補うためにお師匠が施したもの」

胡坐をといて、泰明殿が縁側から庭に足を投げ出した。
草が足にささるようにとけて、改めてそれが幻である事を知る。

「補う必要が無くなれば、消える」
「補う? 今まで、一体何を補って・・」

ふと向けられた目線に、少し不愉快さが含まれてはいないだろうか。
踏み入った事を聞いたかと思ったが、すぐに、
緩んだ目で、泰明殿は庭に目を戻す。

「感情、だ」

言われたことが、よく解らなかった。

「泰明殿の感情は、今までまじないが作り出して居たと・・?」
「感情自体を補う事は出来ぬ」

泰明殿の言葉を、一滴も逃さぬつもりで、耳を傾ける。

「代わりのものを補っていたに過ぎない。無い感情は作り出せぬ」

けれど、その言葉たちはしっくり私の中に馴染まない。

「感情が無かったなど、そんな事は・・」
「・・そんなことは、何だ」

何かから覚めたようなしっかりした目線を泰明殿に向けられて、
つい、喉がつまる。

「そんな事は、無かったというのか?」

怒っているようではなかった、かといって穏やかでもない。
泰明殿の真っ直ぐとした目線を、私はひどく久々に見た。

「無かったと、思いますが」

たじろきながら、目を逸らさずに言う、
泰明殿が少し眉をひそめた。全く予測のつかない、
彼の表情の変化が不安定で怖いけれど、目を離せなかった。

どの表情も、どこか危なっかしく思える。

ふいっと私から目を離して、再び森をぼんやりと見つめ出した泰明殿。
しばらく様子を眺めた後、思い切って、声をかけた。

「どうか、なさいましたか?」
「どうもせぬ、ただ、お前が」

森を見る目を細めた泰明殿のお顔は、
優しげにも悲しげにもみえた。

「おかしなことを言うからだ」
「お、おかしな・・?」
「以前の私にも感情があった、などと」

隠していた思いを開放するように、泰明殿は私を睨む。
ぎくりとして何の言葉も返せず、黙ってその顔を見つめ返した。

「私はただの物だ。感情などある筈が無かった」

益々理解しがたい泰明殿の言葉を、私はただうけとめて、
途方にくれた。

「すみません、あなたのお言葉を全て理解するには、力不足で・・」
「力など必要無い。言葉のままだ。私は」

相変わらず鋭く私をとらえるその目線を、恐ろしいながらも、
目を逸らさずに耐える。逸らせないような危なっかしさが、
泰明殿には相変わらずつきまとう。

「お師匠に作られた人形だ」

吐き捨てるような、皮肉めいたその物言いは、
これもまた、泰明殿らしくはなかった。
たまに見せる違和感。弱さに似た不安定さ。

「どういう、意味でしょうか」
「その通りの意味だ」

晴明殿は、常識を覆す程の高名な陰陽師である事は、知っている。
人を作り出す事も可能なのかもしれない。

泰明殿から、普通の人には無い何かを感じていた事は、
自覚していた。けれど・・

「そんな、そんな事はありません」

考えるより先に口をついて出た否定の言葉に、自分自身、戸惑った。
冷たい泰明殿の表情をうけながら、それでも、
言った自分の言葉に後悔はない。

「お前が何を言おうと、事実は変わらぬ」
「そうだとしても、それでもあなたは」

少し声がふるえた。怖くは無かった。けれど、何故だか、悲しかった。

「人形などではありません」

意外そうなお顔をした泰明殿は、再び何も言わず、
黙り込んで、何かを思うように俯いてしまった。
ふと我に返って、思い切りの良すぎたように思う自分の言動を気まずく思う。

それ以上の言葉はかけられそうになかった。


「お前はどこまでも、神子と同じ事を言うのだな」


彼の口から出たその人物の呼び名は、ひどく鮮明に、
私の頭に入ってきた。懐かしくもあり、切なくも思える、

もう二度と会える事は無い人。

軽い衝撃に言葉を失っていた私に、再び顔を向けた泰明殿は、
さっきにも見た、優しくも悲しくも思えるお顔をしていた。



 
 
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