まやかしの森 7  2008.0112


私の頭に手を伸ばした泰明殿に引き寄せられるまま、
ついていた膝を崩して座り込むと、途端に視線は泰明殿の首あたりに降りる。


この状況は、ほとんど、自分が起こしたようなもの、
何が身に起きようと避ける事はもうできない。覚悟で緊張しきった私の心は、
思う以上におだやかな力で泰明殿に抱きしめられて、少し緩んだ。

硬く瞑った目を、恐る恐るあけたら、辛そうに目を細めた泰明殿と目が合う。

浮かべた自分の表情が、どのように泰明殿に映ったか知る由はないけれど。
やっぱりただそうすることしか思いつかず、
胸に広がる不安感を必死に押し殺して微笑んだ。



終始、心が穏やかだったといえば嘘になるけれど、
私の胸に、後悔はのこらなかった。






あんなにも深い緑が広がっていた風景が、嘘のようにそこには無く、
戸を開けた私は唖然としてその様子を眺めた。

術だとわかっていたにしても、消えてしまったのを見るとやはり驚きを隠せない。
深い木の葉を潜り抜けてこぼれる光も、小鳥のさえずりも無い。
ただ、小奇麗に整えられた植木の山が数個あるだけの、そこは、
簡素な庭ともいえないような、広場だった。

「森が・・」


誰に言うでもなく、つぶやいた。

「森が無くなりました」


背後からの返事は無いが、返答を求めて呼びかけた訳ではなかった。
そのまま、特に
考えもなくふらりと庭に向かう、後ろから引かれた袖にひっかかり、
体は前につんのめったまま動かなかった。

「泰明殿?」

膝をついたまま、私の袖を握ってこちらを見上げる泰明殿は、
苦しみも喜びもないような顔でぼんやりしていた。

目線を合わせるようにその場にしゃがみこむ、体が重く軋む。
残る苦しさを悟られぬように意識しつつ、もういちど、先程の言葉を、
今度はしっかりと泰明殿に向けて言った。

「森が、消えてしまいましたね」
「そうか」

そんな事は気にもかからない様子で、何の意識も入らぬ顔で、
ぽつんと返された言葉に苦く微笑んで、私の裾の端を掴む手を見つめた。

「もしも、お体に差障りが無いようでしたら・・」

細く、長い泰明殿の指。私よりも大きな手が、どこか頼りなげに握り締められている。
まるで、袖に止まった蝶を驚かさぬよう、気遣うような気持ちで、
その手を守りながら、そっと、私もその場に正座した。

「今度、本物の北山に参りませんか」

北山は、私のなかでは霊山である事以外の意味はなく、
特に用事が無ければ足を踏み入れない場所だったけれど、
心を落ち着けてその風景を見れば、見落としていた美しさや、
清浄な雰囲気を楽しめるのかもしれない。

自らの好奇心も、もちろんあった。けれど、

「どんな素晴らしい幻影よりも、心が安らぐのではないでしょうか」

かわらない表情で、ただじっと泰明殿に見つめられて、
反応にすこし困って、目をさりげなくそらして、殺風景な庭を、見る。


「どんな幻影も、実像には敵わぬということか」
「はい、おそらく・・」

そうだと思うと、私が言い終える前に、突然引き寄せられて言葉を止めた。

前かがみになった体制に不安定さを感じつつ、その腕の中でじっとした。
何も言わず、私を支えたまま動かない泰明殿の背中に、
戸惑いがちに、片手を置く。

強引さは漂わず、その仕草は子供のようだと、目をふせて思う。


「お前は、どちらだ」
「・・・・は? な、何がでしょうか」


唐突な問いかけを飲み込めずに、聞いた私の声は、
泰明殿のうでのなかで篭る。

「お前は、実像か幻影か、どちらだ」

手を私の肩にのせたまま、力を緩めた泰明殿を、見上げて、
しばらく目をおおきくして見つめた後、私は思わず少し笑った。

「私は術などではございません」
「言われなくとも解る」
「はぁ・・そ、そうですよね」

では、一体何を疑問に思われているのか、解らず、
曖昧に笑ったまま考えを巡らせた。

「・・・下らぬ質問をした」

開放された肩に冷たい空気が触れる。顔を逸らした泰明殿が、
沈んだようにみえて、見守るように見つめつづけた。

「忘れろ」
「泰明殿・・」

よびかけて、彼のかげのある表情をうかがう。
心に隠している思いは、私には読み取れなかったけれど、

そっと腕をあげると、美しく艶やかな泰明殿の髪に、頭にふれて、
ゆっくりと、掌をすべらせる。
その髪は、私の撫ぜる手に抵抗することなく、さらさらと動いて心地が良かった。

目をあげて、不思議そうに、泰明殿は私を見つめた。

「何をしている」
「あ、あの、まだ幼い頃に、私が不安な時によく・・」

泰明殿の視線にしだいに耐えられなくなってくる。
にわかに目線をそらしたものの、気まずさで顔が熱い。

「兄上がこんな風に、頭を撫ぜて下さって」

ちらりと、顔色を伺う、泰明殿は真剣な面持ちでただ私の声を聞いていた。

「心が癒されたのを、思い出したのです・・が・・」

変わらない表情を、受け止め続けるのが限界に近い。

「や、泰明殿は、幼子ではございませんから、失礼を・・」
「永泉」

手を引いて、恥かしさを誤魔化すようにいびつに笑った私の言葉を、
遮るように泰明殿に名を呼ばれ、おし黙った。

「続けろ」

意外な言葉に、思わず反応がおくれて目を開く。

「・・・続けてほしい」
「え!? あ、はい!」

調子の弱った、あまりに珍しいひかえめな泰明殿の物言いに、慌てて返事をした。
泰明殿に手を伸ばす、先程よりずっと緊張を伴って、ぎこちなく動き辛い。

撫ぜた髪はやはり、さわり心地が良かった。掌から伝わる感触の他にも、
心地よく胸を穏やかにする何かがあるように思えた。自然と頬が緩む。


力の入らぬ顔でじっとしていた泰明殿が、不意に、ふわりと穏やかに微笑んだ。

思わず、手が止まりそうになる。礼を欠いた反応かもしれないのに、
その微笑みから目を逸らせなかった。

我にかえって、自然とこみ上げた笑顔に頬をゆだね、
手を、いっそう優しくすべらせたら、
口元にかすかに笑みを残したまま、泰明殿が、少し目をふせた。

「たとえ、まやかしであろうと・・・」

泰明殿の、どこか儚く思える声が、空気に吸い込まれるように途切れた。

「まやかし?」
「いや・・・」

すこし弱々しく、微笑む泰明殿を覗き込む。


「気にせずとも良い」


自分になにができたか、わからなかった。


行いの正しさも、過ちも、検討がつかずに、視界のはっきりしない、
霧のかかった中を手探りで進むように、何もかもがぼんやりしていた。
けれど。泰明殿の穏やかさに、かえって少し心配になるほどに不安が消える。

そのとき、泰明殿が、一体何を思って、どんな言葉を隠したのか、
私には解らなかったけれど。

私の手の中、ゆるやかに安らいで見える泰明殿に、


自分を、少なくとも少しは、必要としてくれる存在に、
私は、ひどく、安心していた。




長いうえに暗くて変な終わり方ですみません。
エロいシーンは書けませんでした、わずか二行で誤魔化した。

戻る帰る