まやかしの森 1  2008.0804




「永泉っ!」

寺院の静々としたざわめきをを割くような活気のある声が響いて、
私は慌てて振り向いた。


今日は半年一度あるまつり日であるため、寺院の見慣れた庭は、
いつもよりもずっと人に溢れていて、
すぐには声の主を見つける事は出来なかった。けれど、

「イノリ殿?」
「どこ見てんだよ! こっちこっち!」

姿を見ずとも誰なのかは、すぐに解った。手を大きく振る素振りがとても目だって、
ようやくその人物と顔を合わせる。

「お久しぶりです、お元気でしたか」
「あぁ、見てのとおり、相変わらずだ」

日に焼けた腕、大きな口で笑うイノリ殿は、
まさに”相変わらず”だった。懐かしさとイノリ殿らしさに、
笑いがこぼれる。お前も相変わらずだな、と、
イノリ殿も明るい笑い声をあげた。



「祭りっていうからさー、うまいもんでもあるのかと思ったら」

人ごみを抜けて、少し落ち着ける所に場所を移す。
遠くに聞こえるざわめきよりも、イノリ殿の声は明るく通る。

「なんだぁ? 人が無駄に集まってるだけじゃねぇか」
「祭りと言いましても、イノリ殿の思う祭りとは少し意味合いが違いまして・・」

そうなのか、と、納得した様子のイノリ殿に、詳しい説明をするのをやめた。

「残念でしたね」
「あぁ、 まぁいいや、お前も見つけたしな」
「お会いするのはお久しぶりですから」

かつて共に協力しあった仲間に会うのは嬉しい事だった。
笑顔でそう言った私を見るイノリ殿の表情が、すこし変わる。

「あ、うーん、それもあんだけど、お前さ、最近泰明に会ったか?」
「泰明殿?」

イノリ殿から、泰明殿の話題が出る事が、少し意外に思えた。

「いいえ、お会いしておりませんが」
「そっか、お前も知らねぇとなると」

腕を組んでため息をついたイノリ殿を見つめた。
笑っていたかと思えば、顔をしかめて、本当に、
よくお顔の色が変わられるなぁと、ぼんやり思う。

「もう、お手上げだ」
「おてあげ? 何かあったのですか?」

真剣そうな、イノリ殿のお顔、不安な思いが沸く。

「オレの友達がさ、桂の庵で泰明を見たって言うんだけど」

どう、言えばいいのか、考えあぐねる様子で、イノリ殿が、
困ったようにうなった。

「そいつの言う事よく解んねぇんだけどさ、なんつーか」
「何、ですか?」

髪をかきむしるイノリ殿を見つめる。不安が少しずつ膨らんで、
思わず、答えをせかしてしまった。

「幽霊みたいだったって、言うんだ」

とても冷たく、その言葉は私の心にしみ込んだ。

「幽、霊?」
「うーん、なぁ、よく解んねぇよな、でも」

宙を睨んで少し言葉を詰まらせるイノリ殿。
私も、何も言えずに、イノリ殿の足元を見つめた。
素足に下駄が涼しそうに、足元の土をかいていた。

「タダ事じゃねぇだろ?」

不安な思いをわかちあうように、イノリ殿にうなずいた所で、
心が真から軽くはならなかった。

「あの、安部家に伺えば」
「行ったよ、それがさ、、聞いてくれよ」

不機嫌に声を荒くする、イノリ殿の目がこちらを睨んだ。

「そこの師匠か何だかが、放っておけっつーんだ!」
「は・・? ほ、本当ですか」
「嘘なんて言うもんか!」

強い口調にすこし身を引きながら、そのイノリ殿の言葉に、
頼れるものを無くしたように不安さが強まる。

「一体どうして・・」
「自分で乗り越えなきゃいけないとか、何とか」

ふと、少しだけ混沌としていた目の前の問題に、光がさす。
修行をなさっている最中だという事だろうか。

「おかしいだろ!? 弟子が幽霊みたいになってるっつーのに!」
「晴明殿にも、何かお考えがあるのでしょうか」
「何いってんだ!考えよりも何よりも、泰明の安全が第一だろ!」
「は、はい・・」

叱られたようで、思わず萎縮しながら、それでも、
仲間を心配するイノリ殿の優しさは伝わってくる。

「イノリ殿、桂にはお行きになりましたか?」
「行ったよ、でも会えなかった」
「私も、明日にでも様子を見に行こうと思います」

明らかに、険しい表情が緩んだイノリ殿に、ひとつうなずいた。

「だよなー! お前まで、あの師匠の仲間かと思ったぜ」
「いえ、ええっと、とにかく」

肯定をすればいいのか否定をすればいいのか、解らないまま、
微笑んで、笑顔のイノリ殿を見る。


「放ってはおけません」


強く、しゃんとした、術を使う泰明殿の後ろ姿を、ふと思い浮かべた。
思えば記憶の中で、戦う泰明殿の姿は、後姿ばかりだ。

だけど。

普段の泰明殿を思い浮かべると、いつも私を真っ直ぐに見ている。
睨んでいる事もあり不思議そうなお顔の時もあり、
無表情な時もあり、様々な顔で、それでも真っ直ぐに。

あの方は、何からも目を逸らしたりはしない人だった。


早く桂へ行き、無事なお姿を確認したい、けれど、行くのがすこし恐ろしくもあった。

幽霊、という言葉が、暗く不安げに、私の心に染み付いて離れなかった。

 
 
帰る