雨音20090327



遠い意識の中でも、ずっと、雨を抱いて眠っていたような気がする。


雨の音。

眠りから感覚を取り戻して初めに確認したその音は、安堵感に満ちていた。
まぶたを薄く開けると、明度の低い光が、優しく目に馴染んでゆく。
落ちて視界を塞ぐ翠色の髪を揺すり落として、
ふと思い出したように、隣に手をやった。

薄い敷布団を叩いただけの感触に目をやれば、
人がいた気配だけを残して、ぽっかりと空いた空間。
身を起こして、辺りを見回した。やけに広く感じる見慣れた部屋。

穏やかに静かに、響く雨の音。

立ち上がって、身にかけただけの寝着を引きずって、そっと障子をあけた。
大きくなった雨音、真っ直ぐな姿勢で立つ背中を確認し、小さな不安が引く。

振り返って、ふわりと笑う、その姿は、
静かで柔らかい、この雨のよう。

「おはようございます」

永泉が、数珠をかけて合わせた手を下ろす。
鈍く光ったその珠をぼんやり見つめた。

再び立ち上がった胸を刺すような不安感に、自身でも戸惑いながら、
永泉に触れられるまで近くに歩み寄る。

両手で数珠ごと永泉の手を包み隠した。
雨水を含んだ空気にあてられてか、ひやりと冷たい。

「祈って、許しは得られたか?」

私を相変わらずの穏やかさで見上げていた永泉は、
その問いかけに目を大きくした。

「わたくし達の事?」

永泉の予測しかねたような声色を受け、苦い思いがした。
自ら放った言葉を、すぐさま後悔するなど、
不可解だとしか思えない無駄で不合理な行動。

これが正常だというのなら、心とは、何と欠陥の多い作りだろう。

「御仏に、許しなど」

考えを巡らせる私に、ゆっくりとした調子で言うと、
永泉は目を細め、ただ穏やかに、微笑んだ。

「請うたことはございません」

しっとりとした声が、雨と重なり合って、響く。
ともすれば、今にも、その姿さえ、雨に溶けてしまいそうな程に、
永泉の周りに、柔らかく儚い空気が纏わりつく。

私に捉えられた手を、ひどく控えめに引き抜いて、
なだめるように、永泉は私の手を一つ撫ぜた。

「泰明殿、お風邪を召されます」

無造作に体に引っ掛けた寝着の開きを合わせる永泉の手を、
うつむいて見つめた。


「何故、お前は・・」


続きを待つように、こちらを見上げる永泉に、
与えてやるべき言葉は、うまく声とならずに喉に引っ掛かる。

疑問を含んで揺れるその目に、そっと唇で触れた。

そのまま永泉の肩を包み込むと、冷たく瑞々しい空気が一瞬舞い上がり、
ほどなく、暖かさが、私の腕の中に広がった。

何も言わず、ただ少し、私の体にもたれるように寄り添う永泉の暖かさは、
確かに手の内にあるのにつかみどころが無い。


何故、お前はここに、私の傍に居る。


理由の解らぬ存在は、それが大きく暖かみを増すほど、
恐怖となって胸に跳ね返る。

その答えを永泉の口から聞けば、楽になるのか。
しかし、それを聞くのは、今、体に渦巻く恐怖よりもひどく、
恐ろしいことのように思えて、ただ、黙り込む。

終わりの見えぬ、重苦しい思考の輪から、逃げるように目を瞑った。


一人残されぬよう、強く手に力をこめて、
永泉の消え入りそうな空気に割り込んで、雨音に耳をすました。

消えるならどうか、私も連れていけ。


そんな願いにまるで気づかぬ風に、雨音も永泉も、
ただ私を包んで、静かだった。





雨女で雨うんざりなんですが、
予定の無い休日に雨降ってるのは好きです。


 
 
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